市村賞受賞者訪問

全身透明化による全細胞解析の実現

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第50回(平成29年度)市村学術賞 功績賞

東京大学 大学院医学系研究科
教授  上田 泰己 さん

分子から細胞、さらに個体へ全細胞解析

 生物学では、2000年前後にゲノムプロジェクトが進み、細胞の部品ともいえる“分子のカタログ”が手に入るようになった。ただし、個体の疾病や健康を考察する際には、分子ではなく細胞の社会を理解しなければならない。なぜなら細胞は生物の基本単位で、多くの病気は細胞間の関係で起こると考えられるためだ。疾病を根幹から除去するには、病気自体が発生する細胞レベルで介入しなければならない。そこで、研究対象として浮上したのが全身・全臓器の全細胞解析である。臓器の中でも、特に脳のような複雑な器官に含まれる細胞はマウスでも7,000万個ほどある。すべてを特定するには、脳の深部まで観察しなければならないため、大変高度な技術が必要となる。上田教授の研究チームはそのため、透明化手法に着目し、全細胞の検出を目標に研究を開始した。


2週間ほどで全身が透明になったマウスの標本

スクリーニング手法構築で世界初の透明化

 研究チームがまず取り組んだのは、脳に対する新たなスクリーニング系の構築だ。透明化の最初のアイデアは1910年代に考案されており、長い研究の歴史がある。これまでの手法は主に光の散乱に着目し、最終的にたんぱく質の3次元的分布を可視化する手法がとられてきたが、安全かつ透明度の高い方法は確立されていなかった。100年以上もの歴史を持つ技術に、“新参者”である上田チームが挑戦するには、ケミカルスクリーニングのような積み上げる作業が近道だと考えた。結果、様々な分野の専門的な知見を集合しながら、PFA固定した脳ペーストを用いるスクリーニング方法を確立。その途上、あるアミノアルコール群が、組織の高度な透明化に有効だと突き止める。ここに至るまでを研究メンバーの村上達哉さんは、「試した化合物は1,650種類に及び、最終的に完成したCUBIC試薬は、アミノアルコールの脂質除去作用と血液の脱色作用で従来の難点を解消した、世界初の高度な透明化手法になりました」と語る。

シート照明顕微鏡

細胞解像度マウス脳アトラス

高速な細胞解析を実現したイメージング技術

 組織を包括的に解析する手法としては、サンプル臓器を連続切片に細断して撮影、それをコンピュータ上で3次元画像に再構成するやり方が一般的だった。しかし、これは多大な労力と時間がかかる。透明化技術を実現した上で、個体内および臓器細胞の位置や属性の情報を保持したまま解析するには、複雑な対象を短時間で効率よく捉えるシステムが不可欠だ。そこで取り入れられたのが、対象物を数倍に膨らませて解像度を上げる「エクスパンジョンマイクロスコピー」の手法だ。マウス脳を三次元的に10倍程度膨張させ、透明化した上で全細胞の検出を試みた。加えて、撮影するイメージングシステムにも工夫が凝らされた。それがシート照明顕微鏡だ。今までの顕微鏡の多くは、光の透過軸と観察者の視線が平行である。しかし、シート照明顕微鏡は、対象の横からレーザ光をシート状に当て上から2次元面を撮る直交方式のため、シート照明の高さを連続的に変えていくと3次元の画像が高速に撮影できる。これで従来、膨大な日数がかかっていたマウス脳全体の高解像度イメージ画像は、4日間にまで短縮された。開発メンバーの真野智之さんは、「初めて完成した3次元画像はとても高い解像度で美しく、脳全体の細胞ニューロンや神経細胞、周辺の1マイクロレベルの組織まで見ることができ、感動しました」と語る。すべてのシナプスを全脳レベルで分解できる段階ではないが、高い透明度で、全細胞核を検出するには十分だ。

多才なシナジーの結集、細胞の“つながり”を究明

 現在、研究チームは、3次元イメージング技術を使ってマウス脳全体の「地図」を描いている。実際の検出動画では、一つひとつの点が細胞核の検出位置を表し、さらにピンク色は視床下部、黄色は海馬などと、脳の領域ごとに色分けをし、カラフルに描画された脳アトラスができあがる。数千万から1億ほどの対象を扱い、どういった細胞がどの場所にどの程度あるか、視覚的に判断できる意味は大きい。数や領域が分かることで、様々な細胞が増減する意味や、各々の働きの観察および比較が定量的に行える。例えば、アルツハイマー病のような脳神経が脱落していく病気は、将来的に1細胞レベルの解像度で、どの時期からどの程度進行するか見られるようになるだろう。全脳アトラスのデータはwebサイト上で公開され、積極的な情報共有も図られている。振り返れば、化学の力での透明化、物理学の撮影法を駆使した顕微鏡、そして情報科学によるデータ解析など、多様な知識が結集されて、初めて全細胞解析の技術が得られた。同じく、全脳のプロファイリングも全世界の研究者とのシナジーにより、イノベーションへつなげたい考えだ。  「全細胞を見てる今は、白地図を描いている段階です。今後は皆で協力して、そこに色をつけ、細胞同士の“つながり”を解明し、やがてはヒトの意識の解明に迫りたい」と、上田教授をはじめ研究陣のアプローチは次なるステージへ向かっている。

東京大学 大学院医学系研究科が入る医学部教育研究棟(文京区本郷)

(取材日 平成30年4月24日 東京都・東京大学 大学院医学系研究科)
 
研究メンバーの上田泰己教授、博士課程の村上達哉さん、真野智之さん。後ろはシート照明顕微鏡   プロフィール
 1975年、福岡県生まれ。東京大学医学部医学科卒業。同大学院医学系研究科博士課程修了。医学博士。2003年、理化学研究所発生・再生科学総合研究センターチームリーダー。2011年、理研生命システム研究センターグループディレクター。2013年から東大大学院医学系研究科機能生物学専攻システムズ薬理学教室教授。専門はシステム生物学・合成生物学。概日時計から生命システムの謎に挑み、現在は睡眠覚醒リズムの究明を通してヒトの意識の解明がテーマ。受賞歴多数。