1967年、国際単位系の1秒(SI秒)はセシウム原子のマイクロ波遷移の周波数により定義され、現在、15桁の不確かさで国際原子時として全世界で共有されている。原子・イオンの光学遷移を用いて、さらに精度の高い「光原子時計」を目指す研究が1980年頃より始まった。ポールトラップを使う「単一イオン光時計」は、原子間相互作用やトラップ自体による周波数シフトを回避できる唯一の系として最も理想的な原子時計と考えられてきた。一方で、90年代になると単一イオンの観測に起因する量子力学的な時計安定度の限界が、現実的な困難として議論されるようになった。
受賞者は、光を使った原子トラップで生じる周波数シフトを「魔法波長・光格子」によって回避する新しい原子時計の手法を2001年に提案した(図1)。この発明は、原子に加わる外場の排除を大原則としてきた、従来の原子時計設計の常識を打ち破ることになった。「光格子時計」では、光定在波が作る光トラップのサブミクロン領域に原子を閉じ込め、原子間相互作用とドップラー・シフトを低減し、およそ100万個の原子の同時観測を実現する。この観測原子数の増大は「単一イオン光時計」に対し約千倍の時計安定度向上を可能にする。受賞者らは、この手法を2003年に世界に先駆け実証し、2008年には2台の光格子時計の比較により17桁に迫る時計安定度を実現した。
現在、光格子時計は原子時計研究の新たな潮流となり、日・米・仏を始めとする世界20近くの研究グループが同手法による原子時計開発を進め、SI秒の定義の実現精度で光格子時計の国際比較が実現している。2006年には、ストロンチウム原子を用いた光格子時計が、「秒の再定義」を視野に入れた次世代原子時計の有力候補である「秒の二次表現」の一つとして国際度量衡委員会で採択されている。
原子時計は現代の工学・科学の最重要な基盤であり、その高精度化は全地球測位システム(GPS)精度の向上など工学的に重大なインパクトを与え、また量子力学・相対論など基礎物理学の発展に大きく貢献する。近い将来、光格子時計が到達し得る18桁の時間計測では、一般相対性理論から導かれる1cmの高度差に対応する重力シフトの実時間観測が可能になる。従来、時間の共有のための道具であった時計は、重力によって曲がった相対論的時空を照らし出すプローブとなり、高精度時計の遠隔比較による地殻変動の検出など、新たな応用展開が期待される。
図1 光格子時計の概念図。(a)光格子により原子を空間的に隔離し、(b)その周波数シフトを時計遷移で相殺する。
|