世界の通信網を担うPONシステムに1990年代から参入 |
光ファイバー通信は、1970年代に研究が始まり、多くの画期的な技術革新によって飛躍を遂げた。当初、適用先は長距離・大容量を必要とする通信に限られたが、90年代に入りインターネットが普及すると、一般家庭向けのアクセス網にも光ファイバーの容量拡大の期待が寄せられた。その結果、1対多(ポイントツーマルチポイント)で接続し、料金的にも利用しやすい「PONシステム」の研究が活発化した。三菱電機はPONシステムの要素技術開発をいち早く手がけ、1980年代後半からシステムの主要技術を開発。また、低コストで高速なシステムへの期待に応えるため、保有する要素技術をベースに、IC、デバイス、トランシーバーの自社開発を進め、それらを実装したOLT、ONUからなるシステムを完成させてきた。2001年に入り、IEEE規格に準拠したイーサネットベースの1GbpsのGE-PON標準化が始まり、2003年にはGE-PON商用化システムに着手し、2004年に実用化を完了。FTTH技術の標準化による、社会インフラの構築に貢献した。
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GE-PON黎明期、手探りの試行錯誤から高速同期技術を確立 |
かつてインターネット接続の主流は電話線を使ったADSLだったが、それを1本の光ファイバーに替え、通信事業者側のOLT装置と、複数のユーザ宅にあるONU装置で共有する。これがGE-PONのベースであり、1Gbpsもの大容量データを速く、経済的に送受信できる仕組みだ。光による大容量通信は今でこそ誰もが享受できるサービスだが、その実用化と普及には幾多の試行錯誤が重ねられた。三菱電機のGE-PON実用化への試みは2001年から始まった。まず挙げられた課題は、複数ユーザのONU装置からの信号を、OLT装置で受信する技術だ。仮に3者のユーザを対象とすると、下りデータの場合には3者分をまとめて送り、各ONU装置が自分宛のデータを受け取るだけでよい。しかし、上りデータの場合は、距離がまちまちのユーザから出てくるデータがぶつからないように、タイミングをずらさなければならない。本来、システムLSIがあれば、大部分の時分割多重の制御は可能になるが、当時存在したのはベンチャー企業の初期サンプル品のみ。基本的なPONの制御程度しか回路には落とし込めていなかった。そこで、三菱電機、通信事業者、チップベンダ間の密な協力体制がとられた。その結果、データを効率よく隙間なく詰め込みながら応答性も上げた「高速同期技術」を苦心の末に確立。GE-PONでは他のPON方式と比べ、大幅なスペック変更があったが、バースト(こま切れ)データの送受信技術を短期間で新方式へ移行し、対応するICを完成させたのは大きな前進だった。
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積み重ねられた技術の研鑽が、世界初のレーザ技術に結実 |
こうしてGE-PONの基幹技術を完成させた後、併行して開発の進む要素にも次々に革新的な技術が生まれる。大容量化する通信では、データの送受信と共に通信効率の向上も課題だった。そこで取り組んだのが、「帯域割当技術」だ。1つの帯域を複数のユーザで共用することを帯域共用と言うが、この時、ユーザ毎に割り当てる帯域量を動的に変更する「動的帯域割当(DBA)」に注力した。DBAでは、各ユーザの要求データ量の情報を吸い上げ、割り当て量の計算と割り当て情報の送信を素早く行うために、高速性重視のハードと効率性の高いソフトに役割を分散するアーキテクチャを採用した。その結果、低遅延と高効率の両立で、通信効率を18%向上させている。加えて、高性能な光デバイスの核となる半導体ウェハの「埋め込み型回折格子技術」も開発した。従来のDFBレーザに比べて、新たに採用したDFBレーザの独自性は、回折格子を活性層と離して埋め込み、形成したことにある。これにより、安定した結晶品質と形状および寸法精度を達成し、波長の均一性や純度を高めることに成功した。三菱電機の半導体レーザ開発の歴史は、1960年代にまでさかのぼる。いち早く室温発振を実現したことで幾多の賞に輝いたが、その後もプロセスや結晶成長技術といったコアテクノロジーの改良、開発を積み重ね、世界に先駆けたGE-PONのレーザ技術として結実した。まさに三菱電機の真骨頂と言えるだろう。
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