高血糖による悪循環を断ち切る逆転の発想
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糖尿病とは、血糖低下作用を持つインスリンの働きが弱まり、身体が高血糖状態に置かれることで、様々な合併症の引き金となる疾患である。国際糖尿病連合(IDF)の発表によれば、2019年現在、世界の糖尿病患者は4億人を越え、今後も増加傾向にある。その9割を占める2型糖尿病の1990年頃の治療薬は、主にインスリンの働きの補助が主眼であったが、副作用や長期の効果に問題があり、新薬が待ち望まれていた。田辺三菱製薬の開発チームは、肥満の2型糖尿病患者が増加している状況を踏まえて、インスリンに依存せず、服用で血糖値を強力かつ長期にわたって安定的に低下させる、経口の糖尿病治療薬の創薬を目指した。尿への糖排出量を増加させる天然配糖体で、リンゴの樹皮に含まれる「フロリジン」という成分に着目した。ちょうどその頃、身体は絶えず高血糖な状態にさらされると、その状況自体がインスリンの分泌機能や抵抗性を悪くし、さらに高血糖が進行する、いわゆる「糖毒性」と呼ばれる仮説が提唱された。
「むしろ糖の尿排出を促進し、血糖値を低く保てば、インスリンが作用しやすく、結果的に病気そのものが良くなるのではと、発想を転換したのです」(植田さん)。ただし、フロリジンは使用された事例がかなり少なく、経口での使用例がなかった。加えて当時、糖尿病患者の診断は、尿中のグルコース(糖)量による判断が一般的で、診断に混乱をきたす恐れから治療薬にする発想がなかった。しかし、研究チームは体内での糖の流れに改めて注目。糖尿病の主症状である糖尿にフォーカスし、あえて尿中へ過剰なグルコースを「捨てる」ことで悪循環を断ち切るコンセプトを打ち立てた。
約45万の検体を元に、日々、新薬の研究開発が行われる |
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「糖を捨てる理論」の仮説と実証
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生体の重要なエネルギーとなるグルコースは、血管を通り腎臓の糸球体で血中から濾過される。しかし、糸球体の下流の近位尿細管にあるナトリウムとグルコースの共輸送体で、ほぼ完全に体内に再吸収される。その共輸送体は「SGLT1」「SGLT2」と呼ばれ、「捨てる」というのはそのうち主要な役割を担っているSGLT2の働きを阻害し、糖をそのまま排泄させ、結果として血糖値を下げることを言う。この研究プロジェクトは、埼玉県の戸田事業所で1990年にスタート。おおまかな方針が決まったとはいえ、疾患名にあるよう「糖尿」は病態の一種。それだけに当時は、医師から懸念の声もあったという。「グルコースは大切なエネルギー源のため、捨てるよりもいかに使わせるかが治療だ、というのが大方の見解でした」(植田さん)。また、未知の理論だけにフロリジンからの合成展開で経口活性を持つ検体が得られないことや、SGLT1や2という分子の詳細と役割がまだ解明されていなかったことも研究チームを悩ませた。「この理論で病気が改善するか分からないことと、糖の流れを変えて身体に悪影響がないかの2点で、ゼロからの検証が必要でした」(同ユニット 副主任研究員・栗山千亜紀さん)。
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SGLT2阻害薬、そしてカナグリフロジン創薬へ
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すべての仕組みが判明した今では当然なように思えるが、この理論の確立までには、地道な研究の日々を経て、ついに経口のSGLT2阻害薬「T-1095」の創製に成功した。動物実験では、1型・2型糖尿病のモデル動物にひと月ほどT-1095の投与を行い、高血糖の持続的な改善に加え、合併症の腎症や神経障害も改善する結果を得た。加えて、2型糖尿病モデルにおいてグルコースを与えた際のインスリン分泌が改善、抵抗性の評価でも改善が認められ、糖毒性仮説も検証できた。こうしたデータを着実に積み重ね、学会や十数本の論文等で発表。1999年には糖尿病治療薬の新たなコンセプトを国内外に提唱した。逆転の発想が、世界初の快挙を成し遂げた。その後、さまざまな試行錯誤の末に、T-1095を治療薬としてより適した形に進化させた「1日1回で尿糖排泄を促進するカナグリフロジン」の創薬を達成した。
カナグリフロジンの作用機序
本薬はSGLT2を強力に阻害し、高血糖を改善する。SGLT2を100%阻害しても、川下にあるSGLT1から生体に必要な量の糖が再吸収され、低血糖にはなりにくい。“高くなりすぎた”血糖を抑制する理想的な作用機序を持つ。
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カナグリフロジンの薬理効果
本薬は1日1回の経口投与(100mg)で、グルコースを尿糖として排泄、血糖低下作用を発揮する。2型糖尿病において少なくとも104週間にわたり血糖値を低下させる。さらに、体重、体脂肪と血圧の低下、心血管疾患リスクの低減や腎機能障害の抑制も期待される。 |
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